2017年10月24日
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宮大工のお話

おはようございます(*'▽')
人間だれしも鬱に入るときはありまして
絶賛鬱に入っている曽根です。(笑)
どうすればこのもやもやは晴れるのか(´・ω・`)
我慢弱い曽根は悩んでおります(´・ω・`)

さて、今日の職場の教養で出ていた「宮大工」というお仕事
知っているようで知らないのではと思い、今日は「宮大工」について
調べました♪

 

宮大工とは

宮大工とは神社や仏閣などを古い建築方法のまま、古い建物を立て直したり建造したり、解体したりする大工さんです。
古くは飛鳥時代の僧侶がやり始めたことに起因するそうです。
全国の神社や仏閣の修理や建築、解体の為家を離れて全国を渡り歩く宮大工さんもいらっしゃるそうです。
昔、神社や仏閣がお宮さんと呼ばれていたことにも起因するそうです。

宮大工と普通の大工の最大の違いは釘を使わない「木組み」で建築されることです。
木と木を伐りだして、パズルのようにはめ込むことで、組み立てていくそうです。
(DA●H村でありましたよね!(笑))
加工から始まる宮大工は専門性が高く、習得するのに10年以上の修業が必要とされてます。宮大工の中には「文化財保存技術者」という人間国宝級の評価を得ている人もいます。


こちらを参考にしました

 

ちょっと怖いお話で
昔は格式の高いお家を作るときに宮大工の棟梁を
人身御供にした・・・とかなんとか。。。
実際こういったお話はあるみたいです。

13.真実だった勘六(かんろく)の人柱(ひとばしら)
 如来堂建立秘話(ひわ)の極め付け(きわめつけ)は、何と言っても人柱のお話でしょう。基礎石搗き(きそいしづき)の最中に、勘六という爺さんが、胴突き(どうつき)棒の下へ飛びこんで、尊い犠牲になったと伝えられていて、いまも如来堂東南隅柱の台石に、「寛保(かんぽ)3年(1743年)亥秊(いのとし)7月12蓂(めい)、本覚道元信土俗名勘六(ほんがくどうげんしんじぞくみょうかんろく)」と彫られています。
しかし私はつい先年までこの話を信じていませんでした。というのは、この話は当時のどの記録にも記されていませんし、『如来堂御建立録』によると、この年にはもう柱立て(はしらたて)が始っているからで、この刻銘(こくめい)は柱の寄進銘ではないか、とも思われたからです。
ところが今回の調査で、如来堂の棟の梁(はり)から、「御石搗仕舞(いしづきしまい)寛保三年亥ノ八月廿八日」との墨書銘(ぼくしょめい)が現われました。台石の銘にある7月12日は、まだ石搗きの最中だったのです。しかもボーリング調査の結果、この柱の部分は、地盤が最も軟弱なこともわかりました。勘六爺さんが人柱になろう、と決意したのもうなずかれます。人柱は事実だったのです。
そしてこの事件を契機(けいき)に、如来堂の工事は急速に進展しました。翌年には上棟式(じょうとうしき)が行われ、5年後には竣工(しゅんこう)しました。勘六の赤誠(せきせい)が人々を動かしたのかもしれません。勘六爺さんを疑った私は、大いに懺悔したことを申し上げて、一連のお話を閉じることにします。

こちらより参照させていただきました。

昔から橋を作るときなどにも
人身御供は行われていましたが、そんな話もあるのだなと初めて知りました。。。

巫女とかもあるとかなんとか・・・。

たまには職場の教養ネタもいいものですね(/・ω・)/
伝統を重んじることもしてみましょう♪

それでは皆様本日もがんばりましょう!

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